◆ 西 代 寺 ご 紹 介 ◆
西代寺 沿 革
大正年代の西代寺 中興開山 宥岳大和尚
西代寺は東寺真言宗初代宗務総長 木田宥岳大和尚によって中興開山されました。
宥岳大和尚は淡路島の洲本市に生まれ、幼少時代を淡路の地で過ごし、その後、京都の東寺中学に進学。卒業後、淡路島に戻り、南あわじ市松帆の古義真言宗 五大力山 願海寺で住職に就いていましたが、大正時代に法縁あって神戸西代村の地で、無住となった寺院を任されることになりました。そして淡路島より弘法大師像を担ぎ海を渡り、西代村の地に降りて、ここを自らの布教の拠点とし、衆生救済を発願しました。そこが現在の西代寺の地です。入寺当初のお寺は荒廃しており、境内にお堂が残されているだけでありましたが、宥岳大和尚の尽力あって、庫裡、山門等が逐次整備され、誠に刻々と堂塔は姿を現にしました。
創建年代は、宥岳大和尚の入寺以前より古くから本堂にお祀りされ、歴代先師によって護られてきた弘法大師像の裏面に『享保19年(1734年)造立 大仏師 宮内法橋(くないはっきょう)作』と墨書が残されていることから、おそらく江戸時代中期に西代寺の前身となる堂宇が建立されたことが推測されますが、宥岳大和尚入寺前の寺号等については度重なる災害等で記録を無くし、不詳でございます。残された記録によると宥岳大和尚が入寺してからは、大正年代『真言宗東寺派 護国教会 西代高野山』その後、『真言宗東寺派末 西代寺』となっており、宥岳大和尚は正式に寺号を『西代寺』と改め、神戸西代の地で弘法大師信仰を弘め、西代村を守護し、西代村の菩提寺として日々多くの檀信徒や人々がお寺に集うようになり、人々の心の拠り所として寺門発展いたしました。
記録によりますと西代寺は当時開かれていた神戸八十八ヶ所霊場第七十四番に属していました。
托鉢行へ赴く宥岳大和尚
西代寺に於いて得度式 昭和初期の西代寺
西代寺中興第二世 寳瑞大和尚 昭和20年には、神戸大空襲に見舞われましたが、幸いにも大きな被害は受けず難を逃れることができました。終戦後、高木寳瑞和尚が西代寺中興第二世として入寺し、宥岳大和尚と共に寺門興隆に励まれ、檀家数 千軒以上を有する程にまで発展し、神戸でも屈指の真言密教寺院となり、寺門隆盛の礎を築きました。
しかし、平成7年に起きた未曾有の阪神淡路大震災で本堂及び庫裏山門等、全壊し、堂塔を失いました。
震災後、高木寳瑞大和尚は、全壊となった西代寺跡に仮本堂を建て、震災で離散された檀信徒の方々の安否消息・所在の確認から始まり、寺院体制を整え直し、西代寺復興に尽力されました。
その後、中興第三世 木田亮仁住職が西代寺本堂復興再建を発願し、建設委員会を立ち上げ、檀信徒の方々をはじめ、たくさんの方々のご支援、ご協力により見事平成16年4月に落成し、復興再建いたしました。
◆ 西代寺 仏 様 ◆
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